会社設立から5期目を迎え、この節目にこれまでの活動を振り返り、
今後に向けた新たな取り組みについて考え直す必要があると感じています。
その一環として、今後の方針や自分の考えをここに記録していくことにしました。
理系気質で、コミュニケーションや文章を書くことは得意ではないのですが、
いつか何かを書き残したいという思いがありました。
このブログを始めることが、その第一歩になると考えています。
エンジニアになったきっかけについて少し振り返ると、幼少期は放任主義で育てられ、自由に遊ばせてもらいましたが、漫画を読むことはあまりなく、もっぱらテレビや映像作品に興味を持っていました。
ものづくりが多い遊びをしていたためか、ファミコンが流行した頃も家庭にゲーム機を欲することなく、友達の家に行っては、ゲームをしていたものでした。
比べるとゲームに触れる機会は多くなかったと思います。
しかし、パーソナルコンピュータが普及し始めた時期に、比較的多くPCに触れる機会があったことが大きな転機でした。
当時、数百万円もするPCが家庭にあり、 これが自分にとって大きな影響を与えたと思います。
大学では工学系を専攻しましたが、プログラミングはBASIC言語からのスタートでした。
まだPCも高額で手が届きにくい時代でしたが、初めて個人で購入したPCは、NECのDOSマシンが主流の時期のものです。
当時のゲームはフロッピーディスクを入れ替えながらプレイするスタイルで、光栄の戦略シリーズ(『信長の野望』や『三国志』、『提督の決断』など)に夢中になり、大学の休みには寝ずにプレイしたこともあります。
「いつかこんなゲームを作りたい」と思うようになったのもこの頃です。
就職、システム開発の仕事に就き、大手企業の初のベンチャー企業で映像技術に携わる機会を得ました。
この経験は非常に貴重で、会社員として素晴らしい思い出と貢献ができたと感じています。
当時はテレビ放送がアナログからデジタルに移行する変革期であり、総務省関連のプロジェクトや海外の放送局と関わる機会もありました。
デジタル放送が普及した後、新たな職に就き、Web系の仕事を始めることにしました。
副業としてサイト作成に携わっていたことが本格的にWebの仕事に関わるきっかけとなりました。
携帯ゲームが流行した時期には、ゲーム開発への興味が再燃し、以降はサーバサイドのシステム開発やゲーム開発に従事するようになりました。
特にゲーム開発の分野では業務委託(フリーランス)として様々な企業で経験を積むことができ、ある大手企業で初めて本格的に漫画を題材にしたゲーム開発やスマホアプリ開発に携わることができました。
また、ある企業では、リズム系ゲームの管理画面をメインで開発し、リリース直後に長期のメンテナンスに入るという事態も経験しました。
このタイトルがYahooニュースに載るほどの影響があり、私が携わった部分も少なからず、影響がでたものもあります。 快適に動かない重いプログラムを組み込んでしまったこともあったり、これらの失敗も多くありますが、
経験を通じて、 どのようにするか開発に対する大きな学びを得ることができたと思います。
10社以上のゲーム会社に参画する中で、企業風土の違いも実感しました。
大手だから安定している、小規模だから不安定といったシステムではなかったです。
様々な企業での経験が、自身の理想とする会社像を考えるきっかけとなりました。
エンジニアの働きやすさや、安定したシステムで、開発しやすいシステムや落ち着いた運用でまわしていくそういうことができる企業ができればと理想を考えていたものです。
ある企業では、天井に設置されたモニターに通知が表示され、 システムの異常検出時には「緊急事態発生!」と映像と音声で警告が流れるといったユニークな取り組みもありました。
また、別の企業では、「北極」をイメージした会議室でしろくまが中心に居座り、全壁雪色の真っ白な部屋で、
会議室からでた後は雪目で目がちらつくといった部屋があるなど、いろんな意味で、独自の企業文化が印象に残っています。 親が会社経営をしていたことが影響しているのか、独立の道を選び、「自分なら理想の会社を作れるのではないか」と思うようになりました。
その後、起業を志す相棒と出会いをきっかけに会社設立を決意しました。
現在は人材事業を主軸としていますが、アプリ開発やVR事業にも取り組み、ゆくゆくはゲーム開発も手がけるエンターテインメント企業を目指したいと考えています。
AIやVRを活用して実現したいアイデアがあり、会社のビジョンに向けて一歩ずつ進んでいきたいと思います。
その過程で、技術的な内容や日々の出来事を発信しながら、 アウトプットしていけたらと考えています。
Level Frontier 藤本